(7)アンタルヤへの帰還《10月―天国と地獄のあいだには》 ~2002年10月の記録 ∬第7話 アンタルヤへの帰還 朝捕ったばかりという、種類も様々な魚が知人から届けられていた。 2番目の妹がそれを捌き、大まかなブツ切りにして洗っておいてくた。 妹はすでにオクラのトマト煮込みを作り始めていた。 どうやら、魚の調理は私の担当になっているようだ。 こんな場合、できるのはクザルトゥマ(唐揚げ)くらいのもの。トルコ式では小麦粉にあらかじめ塩を混ぜておくので、二度手間が省け実に合理的なのだ。 いい色に揚がった魚のクザルトゥマに、オクラと牛肉のトマト煮込み。立派な昼食の完成だ。 お店の手を休めて食卓に加わった一番上の兄は、昼間っからラクの水割りを飲んでいる。 元々酒好きで特にラクは欠かせなかったそうなのだが、独りぼっちになった心の痛手を紛らわせるためか、さらに酒量があがったようだった。何本も出てきたラクの空き瓶に、兄のすさんだ暮らし振りが垣間見えるようで、そんな兄の様子を伺いに、20時間もかけて通う母や姉妹たちの気持ちも痛いほど分かるのだった。 夕方4時、そろそろ帰るべき時がきた。 車は朝のうちに修理工場に出し、今度こそ万全とのこと。 挨拶を交わし車がゆっくりと動き始めた途端、母と妹が一斉に口を手で覆い、涙を見せまいと顔を背けるところを目にした。私は、見てはいけないものを見てしまったような、うなだれた気分で手を振り続けた。 車はカルカンの町の背後に迫る険しい崖をゆっくりと上っていく。帰り道は兄の勧めに従って、海沿いのルートではなく山の中を縦断する別のルートをとることにしたのだ。 しばらく走って少しづつ分かってきたのは、道沿いに町らしい町も休憩所も何一つなさそうだということ。 アップダウンといくつものカーブをこなし、もう随分走っただろうと思っていたところへ、カルカンまで40kmの標識。 この分ではいったい・・・・と、先を思いやられながら、暮れなずんでいく山道の彼方だけを見つめていた。 上の娘が突然パンを食べたいと言い出した時、なんて事を、と困惑した。店らしい店は今しがた通り過ぎたガソリンスタンドくらいのものだったから。 私はすぐ娘をたしなめた。「急にそんなこと言い出したって、店なんか簡単には見つからないんだから」と。 本当は、カルカンを出発する前に、腹の足しになるようなものを買っておいてもらうよう配慮しなかった自分に落ち度があるのは分かっていた。 しかし夫は辛抱強く車を先に進め、小さな村の小さなバッカルを見つけ、そこでパンとビスケットを手に入れてくれた。それに妹は、しっかり冷蔵庫に残っていたジュースを車に積んでおいてくれたのだった。 子供はお腹が一杯になれば、大人しくしていてくれる。 いまや車の外は完全な闇の世界。標高が高く空気が澄んでいるせいだろう、無数の星が驚くほど近くでキラキラと瞬いているのを、親子ともども飽きもせず眺めていた。 ようやくコルクテリという町の看板を見つけた時は、近くまで戻ってきた安心感で顔が緩んだのを感じた。アンタルヤの北西側に出てきたのだ。ここからアンタルヤまでは40kmほど。 そして午後8時、所要4時間という意外な早さで我が家に到着できたことを知り、延々と走り続けたと感じたのは錯覚に過ぎなかったと分かった。 2番目の妹が食べさせようと作って持って来てくれていたマントゥ(トルコの小さな水餃子)を冷蔵庫から取り出し、茹でてニンニク入りのヨーグルトをかけ、最後に赤唐辛子を加えた溶かしバターを垂らす。これだけの簡単だが贅沢な夕食。 妹手作りのマントゥは、3日経っていてさえも市販品とは比べ物にならない美味しさで、私たちのお腹を満たしたのだった。 つづく ∬第8話 心尽くし |